PETがんドック体験記

小諸 真澄(札幌市)

 がん検診の切り札と言われるPET、このがんドックを夫婦で受けました。
 PETという言葉に初めて出会ったのは今年4月、林家木久蔵さんががんの予後に受けられた記事を目にしたのです。苦痛もなく短時間に全身の状態が分かるという内容は、正直なところ半信半疑でもありました。バリウムやカメラを想像するだけで気分が悪くなり、これまでの検査方法による事故を耳にしてしまうと、下手にドックなど受けるものではないという観念にも取り付かれていました。
早速、インターネットでPETに関する様々な情報を調べましたところ、従来のドックとは明らかに次元の違いを感じます。概要が分かるにつれ、これは素晴らしいものができたと、驚嘆せざるを得ませんでした。
 毎年、それぞれの勤務先で健康診断を受けていますが、そこで病巣を発見されずに命を落とされた方を幾人となく見てきましたので、ドックへの否定的な気持とは裏腹に、健康診断に対しては限界を感じていたのも事実です。
 昨年実兄をこの病で亡くした主人、実父が同じ病を患った経験を持つ自分、互いに漠然とした不安を抱いていましたので、ことさらPETには関心を持ちました。全国のPETを実施している病院を比較してみますと、札幌新世紀病院の検査内容がどこよりも充実しているようです。保険が適用されない料金で2人が受診することは、かなり勇気がいりますが、幸いこの病院で特別受診体験という制度があることも分かりました。奇しくも、今年は2人にとって干支という節目です。これを機に、受けてみることになりました。
 これらのいずれか1つでも欠けていたなら、恐らくこういう検査があるという知識を得ただけで終わっていたに違いありません。この病で旅立った身内が、同じ道を辿らないように健康をしっかり見つめなさいと、お膳立てしてくれたような気がしました。
自分の身体は、自分自身で知る権利と知っておく義務があるという考えを持っていますから、診断、検査に関する情報は受診者本人の告知を前提とする病院の姿勢は、共感できます。義兄、実父がそうであったように、まず家族に告知して判断を仰ぐ病院が多いなか、ここなら何かあっても正面から話し合えると思いました。
 ただ、まだ普及し始めたばかりの検査ですから、周囲にとっても未知の世界です。体内に放射性の異物を注入することに対する抵抗感は否めず、診療契約書を送付した後も、心は揺れ動いていました。
 緊張のまま臨んだ検査当日、明るい挨拶に迎えられて1日が始まりました。検査の流れが看護師から詳しく説明され、丁寧な対応もあって不安な気持は薄らいでいきました。それぞれの箇所での徹底したサポートに、安心して身を委ねることができ、気持よくスムーズに検査は進行します。恐怖心のあった異物の注入も、もはや抵抗感は消えていました。検査に要した4時間、それほど長くは感じられませんでした。
 全ての検査が終了し、結果を待つ間、病院に併設されたレストランで軽食が用意されていました。渇いた身体に臓器の力となるお茶が染み渡り、外出先ではなかなか口にできない五穀米が吸収されていきます。単に空腹を満たすだけの食事ではなく、身体にいい物を提供する、ここにも病院の姿勢が感じられました。
 いよいよ、医師からの説明です。コンピュータの画面に現われた鮮明な画像、我が分身がそこにいました。がんドックでありながら、がん以外の様々な身体の不具合が曝け出されます。今年2月に受けた健康診断では発見できなかった欠陥を物の見事に指摘され、その明白な根拠が眼前に映し出されています。これは、想像以上の成果でした。PETによる画像のみならず、確かなデータに基づく診断には、間違いなく説得力がありました。健康診断を否定するものではありませんが、このがんドックとの精度の違いは、歴然としています。もちろん料金の違いも大きいのですが、この結果に対する信頼感は、その差をはるかに越え、金額には換算できないものでした。
 PETという言葉に出会い、興味を持ち、不安を抱きながら受けた今回のがんドックですが、現代の技術の進歩を垣間見、何ものにも代えられない我が身の状態をつぶさに知る、素晴らしい体験でした。もう少し早く世に普及していたなら、病気ひとつしなかった義兄が若くして命を落とさずに済んだのではないかと思うと、残念です。同時に、この技術の恩恵を被ることができる時代に生きるありがたさも、実感しました。我が身と長い付き合いをするためにも、今後は積極的に利用させていただきたいと思っております。