死ぬかと思った!!

水口 勝(江別市)

 99年3月31日午前5時30分、いつもの通り起床。
 女房は別室で熟睡中、自分でコーヒーを落とし朝の一杯。美味い!これもまたいつもの通り。
 今日は小生にとって特別な日、それは今日で定年である。
 午前は退職の挨拶、昼休みこれもまたいつもの仲間と碁を打って帰宅のスケジュール。
 さて下着を交換しようと立ち上がった途端、急に今まで経験をしたことがない目の前にチラチラと白い稲光が走るような感じがして、変だなと思った瞬間左足と左手の自由が利かなくなりその場に倒れてしまった。瞬間とはいえ2~3秒くらいの時間はあったと思うが、とにかく左半身は自分の意思に反し全然動かない。しかし話すことはできるし頭も全然痛くない。
 まずい、これは脳卒中だ、くも膜下出血ならばすごい頭痛がするというからくも膜下出血ではない、では脳出血だろうか脳梗塞だろうかなどと考えていたことを覚えている。
 この異常に気がついた女房と息子も起きてきた。
 とにかく救急車を呼んで病院へ行かなければ。自宅と消防署はせいぜい500メートル、4~5分ぐらいで救急車到着、K病院の当直医は脳外科の先生だという。倒れてから病院到着まで多分30分弱。
すぐにCT検査、写真ができあがるまでの間どこかわからないが薄暗い部屋に寝かされていたが、ちょっと中年の小柄な看護婦が、ごめんねと言いながらヒョイとつまんで尿道カテーテルを挿入、さすがにベテラン、痛くも痒くもないし羞恥心もない。
 救急処置室で女房と息子に写真を示しながら“脳幹出血ですので手術はできません。最善の処置をしますが、このまま止まらなければ最悪の事態を覚悟してください。”女房と息子の表情が目に浮かぶ。なぜならすぐ横にいながらストレッチャーに仰向けに寝たまま頭が動かない。このまま死んでしまうのかな、このまま死ぬのなら死って案外楽なものだと思うが、危機感はない。
 女房曰く“4月の25日に下の息子の結婚式があるのですがなんとかなりますでしょうか”と聞いているが先生ウーンとうなったきり返事がない。
 ただちにICUに収容、2日間身動きがとれないが不思議と退屈感もない。若くて結構美人の看護婦が時々体位交換をしてくれる。いつもは時間通り三食喰わないと気がすまないのに点滴のせいか空腹感もなく食欲もない。
 一日数回嫌になるほど名前、生年月日、今日は何日、何曜日、女房の名前などと質問攻勢がはじまった。これは退院間際まで続いた。
3日目の朝、ICUから病室に移動。相変わらず点滴の管がはずれることがない。
4、5日目あたりから呂律が回らないのが自分で分かる。夜一人になってから“アイウエオカキクケコ”と発声練習”。二晩くらいで元に戻る。
 ありがたいことに、毎日入れ替わり立ち替わり見舞い客が絶えない。元気な様子を見て、口の悪い学校時代の友人曰く“君は我々のために身をもって警鐘を鳴らしてくれた。ありがとう”また別の友人曰く“おまえの見納めと思ってきたが拍子抜けしたよ”などと悪口をつくが、これがまたなんともうれしい。
 初めて車椅子でトイレに行って驚いてしまった。今まで導尿カテーテルを挿入していたのでわからなかったが、小便をしたら右側と左側の感覚が全然違う。大の方はもっとひどく、これからこの状態が続くのかと思うと落ち込んでしまう。正確に体のど真ん中を中心として右と左の感覚が違う。これは経験をした者でなければ分からないことだと思う。しかしこれは退院する頃には直ってしまった。
 ある日看護婦が女房にサンプルを示しこの様なひもを作れという。リハビリー訓練に必要だというが使用方法がわからない。
 4月10日、リハビリー開始。リハビリルームで例のひもを腰に二重に巻き付ける。車椅子から立ち上がったり、平行棒で歩行練習するときに先生がそのひもを持って支えてくれる。
 まず歩いてみなさいという。平行棒で両手で支えながら右足はかろうじて前に出るが、左足は自分の足でありながらどこにあるかわからない感じ。自分の意志では動かない。それでも何日かめには動くようになったが歩幅が長かったり短かったり。
 夏の朝早く、おそらく同じ病気の後遺症だろうと思われる人が杖をつきながら歩いている姿をベランダ越しによく見かけたが、自分も仲間入りしてしまった、もう下手なゴルフもできなくなってしまったと思うと落ち込んでしまう。あの先生が口うるさく忠告してくれたのに、きちんと薬を飲んでいればこんなことにならないで済んだのにと後悔が先に立つ。十数年も前から本態性高血圧と診断され降圧剤の投与を受けていたのに、あまり自覚症状がないので飲んだり飲まなかったりした罰が当たってしまった。
 しかし、今まで60年以上も自分の思うとおりに動いていたのにこんな馬鹿なことがとも思う。
リハビリー開始10日目位から、手を離すとだめだが平行棒に掴まりながらだと、かろうじて右足と左足が交互に出るようになった。これなら何とかなるかもしれないと自信がわいてくる。
 4月25日息子の結婚式、前の晩から外泊して出席する。待合室には友人知人と共に30年来公私共にお世話になっている外科の先生もお見えになっている。挨拶をしなければと思い、つい無意識のうちに車椅子から立ち上がり歩いて先生の所に挨拶行ったのだ。自分でも気がつかなかったが歩けた。先生には無理をするなと怒られたが、この日を契機にふらつきながらも何とか歩けるようになったのである。
 5月10日、主治医から驚異的な快復だとお褒めの言葉があり、もういつ退院してもよいとのご託宣下る。お許しが出たとたん一日も早く退院したい。
 5月11日、はれて退院。左半身のしびれとは一生仲良くしなければならないし、ワイシャツのボタンをかけるの一苦労するけど、死ぬかと思ったのがここまで快復したのだから、良しとしなければ。これからは忘れず薬を飲むことにしよう。